第7話 富山の院長
EPISODE 7
第7話 富山の院長
山田さんは開業医の院長だ。
祖父の時代から続く山田医院の三代目医院長である。
所謂地元の名士で知らない人はいない。
富山の歓楽街と言えば桜木町であるが、何かと付き合いの多い山田さんは良くこの街に顔を出す。
美味しい料理、酒、カラオケも嫌いではない彼は夜の桜木町でも愉快にやっているかと思えば、どうやらそうでもないらしい。
職業柄、何処に居てもある程度の品位は保たなければならないし、それだけの有名人であれば、小さな事でも噂が広がってしまう。
山田さんは妻子ある身でもある。
男同士、或いは女性を含めた三人以上の複数で飲食を楽しんだり、一人バーで一杯やることは出来ても、親類以外の女性と二人きりで飲食をするのは勿論、女性が接待するクラブやスナックに一人で行く事はままならなかった。
山田さんは学会等の用事で年に三、四回程上京しその度、かもめ亭に寄っていた。
その時、必ずと云って良い程、女性と二人きりである。
しかも いつも同じ女性。
女性の名はさとみ。クラブ「ローズ」のホステスである。
山田さんは独身時代、医大の同級生だった原田さんと用事をつくっては東京で逢っていた。
彼の家も千葉の開業医だった事だけではなく何かと馬が合う二人はお互い他人には言えないストレスも分かち合っていた。
以前 原田さんは先輩医師に連れられクラブ「ローズ」に来店。
ママに一目惚れした彼は山田さんとの二次会もお決まりのローズにしていた。
山田さんには学生の頃からの趣味がある。
映画が大好きで、古い映画から新作の映画、SF、アニメ、ジャンルを問わず興味をもった。
彼の映画の知識は尋常ではない様で、ちょっとやそっとの映画通ではまるで歯が立たない。映画の知識量を自慢したい訳ではないし、とことん議論出来る相手と話したいだけで、そうでもない相手なら映画の「え」の字にさえ触れたくない。
さとみもまた映画が大好きだった。
ホステスの割には一見明るいというイメージは無く、お客様の言葉に表現豊かに反応出来る訳でもないが、相手の話しをしっかり聞いている様子ではある。
そんなある日の「ローズ」、原田さんがママとの会話に夢中になっていると、たまたま山田さんのお相手になったさとみは「あの映画観ました?」と聞いてしまった。
大抵はじめてのお客様には、映画の話題から会話の取っ掛かりを掴んでいたさとみは山田さんにもそう話しかけた。
例によってさほど意味のない映画の話題は早く切り上げたいと思った山田さんは「観たよ。まあまあだね。」と気のない返事を返したが、内心彼もその映画は良い出来だと思っていた。
「そうですよね!最近の映画では良く出来てましたのね!」と、さとみは自らの解説を始めた。
彼は話しを続けるさとみを遮るわけにもいかず、仕方なく相手をする覚悟をしたが、そのうちにさとみの映画を観る角度や解釈が自分のそれとはまるで違うことに驚いた。
一つの作品に複数の解釈があるのは当然だし、ストーリーや俳優、演技、キャラクター等スポットの当てかたを変えれば楽しみもまたそれぞれであろう。
そういった意味で山田さんは一本の映画を角度を変えて複数回観るのが好きだった。
そんな彼が思いも及ばなかった視点からその映画のワンシーンを突いてきたさとみに、不覚にも「なるほど、その解釈があったか!」と感心してしまったのだ。
そして、早くもう一度観直したいと云う衝動に駆られていた。
山田さんは思わず、別の映画のあるシーンについても聞いてみた。すると、またしてもさとみは想定外の角度から自分の解釈を始めた。
そんなやり取りを何度か繰り返す内、さとみもまた、彼をただの映画好きではないと思い始めていた。
お客様と映画の話しをするのは好きだが、それはあくまで営業会話のツールとしてであり、知識のレベルは相手に合わせ、決してでしゃばらない様にしていた。
ところがさとみはいつの間にか仕事を忘れ夢中でおしゃべりしていた。彼は彼でより奥深く、さとみを試している風であった。
それ以来、山田さんは上京の度にさとみと逢うことになる。
待ち合わせは決まって「銀座かもめ亭」18時。
山田さんは17:55に来店、さとみはその5分と遅れない。
およそ三ヶ月ぶりに逢う二人だが挨拶もそこそこに映画の話しを始める。
一杯目はシャンパンカクテルで乾杯。
ビターズを含ませた角砂糖を入れたシャンパングラスにシャンパンを注いだカクテルで、映画「カサブランカ」ではハンフリーボガード扮するリックとイングリットバーグマンのイルザランドが見つめ合い乾杯するカクテルだ。
「君の瞳に乾杯」と名セリフが有名だが、流石の山田さんもそのセリフは言わない。
その後、二人は銀座のどこかで食事をし、クラブ「ローズ」に同伴する。
そして「ローズ」閉店と共に二人は再度「かもめ亭」に来店。
カウンターに座るやいなやまたまた映画の話しを始める。
「マスター、シャンパンカクテルを二つお願いします」
遅い時間はウイスキーを飲む山田さんだが今日は珍しく再度シャンパンカクテルを注文した。
「君の瞳に乾杯!」チ~ン
やれやれ、お酒がそうさせたのか、夜の銀座のせいなのか、それぞれボギーとイングリットバーグマンになりきっているではないか。
どうやら二人はスクリーンの中に入ってしまったらしい。
店に「アズタイムゴーズバイ」が流れていた。