第6話 バーとバーテンダー
EPISODE 6
第6話 バーとバーテンダー
第3話「銀座のクラブ」でふれたクラブの歴史を辿った
1924年開店の「カフェタイガー」であるが
その歴史を更に遡ると1911年3月開店の「カフェプランタン」にたどり着く。
場所は日吉町二十番地、現在の銀座8丁目である。
「洋食普及時代が過ぎるとその次に来るべきものはカフェ時代であった。」
(石角春之助「銀座解剖図第一篇銀座遍歴史」より)
この「カフェ」なるものの発祥は諸説あるが「洋酒・洋食・女給」の
3要素を備えたところを云うのが定義のようである。
女給とは現在のウエイトレスでもホステスでもない。
女給仕人を略して女給、あるいは女ボーイと呼ばれていたらしい。
「カフェプランタン」がオープンした同年8月
尾張町の交差点の角(現・銀座5丁目)に「カフェライオン」が開店した。
経営は老舗洋食店・精養軒。
毎日新聞社であった3階建ての洋風建築がそっくりそのままカフェとなり
1階はバーとサロン、2階に食堂と余興室、3階には4つの個室があった。
インテリが集まるプランタンとは違い
誰もが気軽に入れる雰囲気のライオンは夜毎賑わいをみせ
文士・俳優・画家らの有名人も顔を見せていた。
そんな界隈の著名人達を満足させた理由の1つとしてバーの存在があったようだ。
そのバーには横浜の「横浜グランドホテル」で
洋酒の知識と技術を磨いたバーテンダーの浜田昌吾氏がいた。
当時、同ホテル発祥のカクテル「ミリオンダラー」が大層人気だったと言う。
「浜田の豊富な洋酒の知識、シェイカーを振る仕草や
カクテルが常に一定の味であること、客への対応などが大変気に入り
尊敬さえしている。」(美術家・安藤更生)
「浜田は銀座に於ける国宝的存在」(作家・伊藤和夫)
後に東京バーテンダースクールの校長を務めた浜田昌吾氏は
現在の日本人バーテンダーの礎を築いた人物と言っても過言ではないだろう。
その後、関東大震災第二次世界大戦等を経て
時代の変遷とともに夜の銀座は形を変えてきた。
客のニーズにただ迎合するのではなく、
常に最先端のサービスを提供しようとする姿が独自の進化を遂げ
銀座を日本一の繁華街として確立させていったのだろう。
現在、バーと云ってもその形態や洋酒の品揃えは様々で
女性のバーテンダーも珍しくない。
日本全国の盛り場には大抵バーがあり、それぞれの店にそれぞれ常連客がいる。
銀座かもめ亭に今夜も常連さんのご来店だ。
それにしてもこちらのマスター、もう少し愛想よく出来ませんかね。
まあ、お客様は酒と旨いつまみと心地良い音楽があれば
ご機嫌の様子ですがね。
「マスター、いつものウイスキーロックで」「かしこまりました」
「マスター、ジントニックに合うつまみお願いします」「かしこまりました」
「マスター、美空ひばりの『慕情』かけてよ」「かしこまりました」